つぶやき

人生折り返し地点を過ぎる程度には、いろいろな人に出会ってその為人を見聞きしてきたのですが、あくまで私見ですよ?

私見なのですが。

「自分のパートナー(元も含む)をけなす人は信用できない」

確かにろくでもないお相手さんって、はたから見ててもいるんですよね。酒乱・DV・金銭感覚の欠如・シモにだらしないなどなど。

でもね。その相手選んだのは自分じゃないの? 親が無理に決めた相手と婚姻してた前時代でもあるまいし。

まして、曲がりなりにも一緒に生活をしてると、パートナーって鏡のように自己を反映してくるんですよね。そうでもない人達も稀には居ると思うんですが。

いろんな夫婦見てきましたが、こんな人良く結婚できたなぁと思う人の相手は、やっぱりなるほどねと思える人が多いんですよ。共依存の関係が見える。暴力的な人の相手が、暴力を受けることを何処かで望んでいるかのような(暴力を受けている自分を憐れんでほしがっているような)私からしたら理解できない関係。

ま、その関係がその二人にとって望んでいるものであればいいんですけど。

 

で、パートナー貶める人が信用できないって話にもどります。

例えば飲み会で「うちの旦那(もしくは元旦那)がねー」とはじまる話のうち、笑い話としてネタにできてる人はね、大丈夫なんですよ。ちなみに意外と壮絶だったりするんですよね、そのネタ。信頼できる人は、相手に伝える努力(時にはお互い譲歩)をして、嫌なところを極力減らす努力をしているから「赤の他人」に愚痴ったりしないし、コイツもう駄目だと思ったら、さっさと見切りをつけて別れる努力を始めてます。

 

問題は「うちの旦那」の欠点を次々あげる人。あれしてくれない、こんなこと言った、こんなこと勝手にしてた。私から見たら、いや、そんなことどこの家庭でもあるよね?ってことでも、次々に上げていく。

ねぇねぇ、それ「赤の他人」である私に言ってなにかいいことがあるの?赤の他人である私はその後、その「旦那」を見るたびにフィルターかけて、その為人を見ちゃうよね?それがいいことなの?

 

実際問題、私に愚痴ったって何一つ改善されるわけは無い。

 

パートナーに嫌なところがあるのであれば、相談するなり諦めるなりなんなりでそれを改善する以外に方法はないのよね。結局のところ。

だいたい、生まれた時から全く違う生活をしてきた人間同士が、いきなり一緒に住んで軋轢がないわけがない。ましてや、子育てなんてディープなお仕事したりするのに、同じ目線で同じ感覚を共有するのなんて無理でしょ。

その愚痴を私に言うってことは、その人は「改善する努力」を放棄して、パートナーを意味なく(だって改善するわけないんだもん)貶めてるってことになるんだよね。

つまり、なんの努力もせずに、自分が選んだ相手に不満を抱えています。って自ら教えてくれているようなもん。信頼しろっていわれても、自分のパートナーですら愚痴抱えているような人に、私が不満を与えずに接することができるわけないじゃん。

 

ということで。

私は、たいして親しい間柄でもないのにパートナーの悪口をいう人とは、あまりかかわらないようにしています。

健康とは関係のない「よしなし事」失礼いたしました。